熱血社長奮戦記

熱血社長奮戦記

人が輝ける会社をめざして

会社の受付カウンターのすぐ近くに、スタッフの言葉を書いた色紙が飾られています。訪れてくださったお客様はかならず、それを見て笑顔になられます。なぜかと言うと、そこには社員一人一人の、壮大な目標が書かれているからなのです。

「太陽に近い男日本一」
「輝き続ける男日本一」
「会社を愛する男日本一」
「負けず嫌いな女日本一」

なんと大風呂敷を広げる会社かと、みなさん呆れておられるかもしれません。でも、大きな夢を語れる人間は大きく育つことができると、私自身は信じています。

人が輝ける会社をめざして 人が輝ける会社をめざして

 

長い間、郡山塗装は技術力が売りの会社でした。
そのことは、もちろん今も変わっていませんが、私にはもう一つ、そこに付け加えたいものがありました。
それは、「人間力」。

みんなの中に眠っている、自分自身でも気づかない力を引き出せば、この会社は最強の会社になる。
そう信じ、努力してきたことは、いま着実に芽を出しつつあります。
その目標を掲げたために、あちこちでぶつかったり、辛い思いをしたりもしましたが、それ以上の素晴らしい経験をすることができました。

いまからお話しするのは、志高く郷里に帰ってきた熱血社長と、ひと筋縄では行かない職人気質の面々とが、本気でぶつかりあった、熱い日々の物語です。

 

人が輝ける会社をめざして

 


 

帰郷篇

思いがけなかった転機

私が東京から故郷の郡山に帰ってきたのは、平成2年(1991)のことです。母の妹である真壁良子(当時社長・現会長)から、郡山塗装をいずれ継ぐ者として帰ってきてほしいとの要請を受けての帰郷でした。

ほんの1年ほど前までは、まさかそんなことになるなんて思ってもいませんでした。国立高専で電子工学を学んだ私は、映像機器の開発・制作を主とする東京の大手メーカーに就職、それなりに充実した毎日を送っていたのです。

けれど、急死した叔父の後を受けて、慣れない社長業に取り組む叔母の願いを退けることはできませんでした。それに、このまま会社勤めをしていても所詮は歯車の一部。それなら、小さな会社で、全体が見渡せるポジションで頑張り、自分の可能性を試してみるのも悪くないという気持ちもありました。

もちろんいずれ経営者になるのですから、生半可な気持ちでは戻れません。
その覚悟は十分してきたつもりでしたが、郡山塗装に入社してまもなく、私は自分の考えが甘かったことを思い知らされたのです。

思いがけなかった転機

 

職人たちから総スカン

帰郷してまもなくバブルが崩壊。それまでゼネコンの下請けとして十分な仕事量があった郡山塗装にも、将来への不安がよぎりました。それを潮に、新規の取引先を開拓し、会社の体制も新しくしたいと、私は考えました。

ところが、会社と言っても職人の集まりですから、プロジェクトを立ち上げて全員で取り組むなどという経験はしたことがありません。それぞれがそれぞれのやり方で仕事をし、結果が良ければそれでOKという世界。職人も交えての会議なんて、開いたこともなかったのです。

私は、そのやり方ではいずれ頭打ちになると考えていました。でも、そう考えていない職人たちは大反発です。一回目の会議は悲惨でしたね。どの顔にも「こんな会議やらなくていい」と書いてある。話し合いなんて、ほとんどできませんでした。
それでも会議に出てくれているうちはマシでした。それがやがて総スカンとなり、しまいには面と向かって「何がしたくて、この会社に来たんだ」とまで言われました。悔しかったですよ。悔しくて泣きました。

  職人たちから総スカン

 

 


 

苦闘篇

自分の中の弱さに気づく

「なぜみんなわかってくれないんだ」と、悶々とする日が続きました。そんなある日、私はふとあることに気づいたのです。

それは、ひょっとすると私は職人たちに対して「俺はあんたたちとは違う」という意識を持ちながら、上から目線で会社を改革していこうとしているのではないか、ということでした。

なぜそう思ったかと言うと、その頃の私は、同級会で再会した友人に「お前バカだなあ。一部上場企業を辞めて、どうしてペンキ屋になったんだ」と言われると腹が立って、「今に見ていろ。どこにも負けないような会社にしてやる」と思うくせに、その一方では郡山塗装の名刺を人前で出すのが恥ずかしくて、以前の会社の名刺を出してみたり、汚れた作業服を着て街を歩くのをいやだと思ったりしていたのです。

心はそんな弱腰のくせに、頭だけで「会社を変える」と言っていたのですからお笑い種です。職人たちの心を動かすなんて、できるはずがありません。そのことに気づいた私は、今度こそ絶対に逃げまいと思いました。自分からみんなの懐に飛び込んで行こう。そしてみんなと一緒に私自身も成長していこう。

もう一度、一からやり直すと決め、意識的にお国言葉を話し、人当たりのよさそうな職人を選んで世間話をするところから始めました。そうやって少しずつ、新たな関係を築いていこうと勉強し、努力していったのです。

自分の中の弱さに気づく

 

苦難の連続!

時がたち、仕事の基本的な事を覚え、営業でも大きな仕事を受注してこれるようになって来ました。現場代理人として現場の責任者として仕事が出来るようにもなってきました。職人さんからも多少は認めてもらえ始めたかなと思い始めた頃です。

そんな頃、今でも思い出すたび涙が浮かんでくる悲しい出来事がありました。

年齢も近く、特にかわいがってもらっていた先輩職人さんが不慮の事故で命を落とすという惨劇が起きたのです。悲しいと同時に目の前が真っ暗になりました。先輩は、職人気質のことや、ベテランの職人さんへの気遣いの仕方など、僕がこの世界で生きていくイロハを優しく教えてくれました。そんな人付き合いの架け橋になってくれた、大好きだった先輩が亡くなったショックは、言葉に表すことはできません。しかし一方、こんな悲劇を二度と繰り返してはいけないと、強く心に誓う自分がいました。

 

苦難の連続!

なんとなく仕事も覚え、油断があったのかと思います。管理職としてやっていくと決めた以上、働く社員の安全や、成長実現のため、そして、お客様に支持され、喜んでもらえる会社へと進化していくための課題は山積み状態なのです。自分自身大きな転機となりました。やはり、改革は待った無しなのです。

しかし、新しい取り組みを始めれば、必ず反発が生まれました。いやがらせを受けたのも1回や2回ではありません。会社のため、社員のための改善、改革のはずが、社内に見えない壁を生み出したりもしました。

しかし、あきらめずに歩みを進めていくと、少しずつ、少しずつですが、社長のやっていることは正しい。応援しますから頑張りましょう!と、言ってくれる仲間が現れてきました。「社長の理想が実現すれば、スタッフも会社ももっと輝ける。郡山塗装は、ただ腕のいい職人の集まりから、会社としてその力を認められるようになりますよ。」鳥肌が立つほどうれしかったのは言うまでもありません。

私の掲げる理想と現実との間のギャップ。頭では理解しても、そのように体が動くまでには時間がかかる人間の心の仕組み。一足飛びには成しえない、そういった課題を一歩一歩積み重ねることが大事なんだと、わかってきました。

そして、私は、「現実を否定しているのではなく、みんなの中に眠っているいいものを、もっともっと引き出したいんだ。」ということを、折にふれて伝えていきました。

こうして少しずつ、郡山塗装は、さらなる飛躍に向けての脱皮を始めたのです。

 

苦難の連続!

 

 


 

挑戦篇

熱い思いは必ず通じる

「ワッハッハッハッハッ」

月に一度、郡山塗装の会議室に大きな笑い声が弾けます。ドアを開けると、スタッフ全員が集まって、顔を見合わせて大笑いしています。

頭がおかしくなったのではありません。これは、お客様に最高の笑顔でご挨拶し、仲間同士が気持ちよく仕事をするための、「笑顔体操」なのです。笑顔になったところで会議が始まり、全員が仕事の進捗状況や現状の課題についての情報を共有します。そして最後は協力業者でつくる「郡友会」の松崎会長のかけ声のもと、全員が「頑張ろう」コールをして気勢をあげます。

あれから20年近くが経ったいま、職人たちにとってこの会議に参加することは、もはや当たり前になりました。いやいや参加している人間は一人もいません。定刻にピシッと集まり、揃いの真っ白なウィンドブレーカーに身を固めた姿は精悍で、やる気にあふれています。

 

熱い思いは必ず通じる

その顔は、自分たち全員が郡山塗装にとってなくてはならない存在であることを、よく知っている顔です。それを見ると私は時に、熱いものがこみ上げそうになります。

「そうなんだよ。あなたたちは、すごくカッコいいんだよ」。

そのカッコよさを、俺はもっともっと世間の人に伝えたいし、みんなにもいままで以上にカッコよくなっていってほしいんだ。思わず心の中で話しかけてしまうのです。

熱い思いは必ず通じる

 

ますます熱く、力強く

「技術力」プラス「人間力」で、郡山塗装を日本一の会社にしたい。

私はそう思ってこれまでも歩んできましたし、今もその闘いの真っ只中にいると思っています。それは、売り上げを上げたいとか、全国に進出したいということでは決してありません。

郡山塗装のすべてのスタッフが、お客様に好かれ、「あなたを信用して頼むね」と言われるようになってほしい。
郡山塗装で仕事をしていることを、家族や友人に誇れるような会社にしたい。
それが私の理想。理想は必ず現実にしなくてはなりません。

そのためには何をすればいいかを常に考え、スタッフを刺激し続けるのが私の仕事。もし仮に、彼らが大きく育って、郡山塗装を巣立つことがあっても、「あの会社で働いていたのなら間違いない」と言ってもらえるなら、それはとても素敵なことだと思います。

私とスタッフは、いま心を一つにしてスタートラインに立ったばかり。
全員、心はマグマのように熱く燃えています。
これからの郡山塗装をぜひ、見ていてください。

ますます熱く、力強く

 


元気で熱い!スタッフの声